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往くネパール人

12年間オーバーステイ(以下「OS」)をしていたネパリが
とうとう今日、ネパールに帰るらしいです。

私たちの住むこの地域には以前、たくさんのネパリが住んでいました。
きちんと調べたわけではありませんが、そのうちの9割以上がOSだと思われます。
ウチの旦那が来日した約4年前、あるOSネパリが
「この辺には、だいたい300人くらいのネパール人がいる。」と言っていました。

土日ともなれば大きな駅周辺に行けば、
待ち合わせたわけでもないのに、少なくとも5・6人ものネパリに遭遇していました。
それどころか、私たちが住むこんなド田舎のこの地区にも
ネパリが住んでいると判明してビックリしたこともありました。
この狭い地区にたった1軒しかないアパートに、ですよ。

とあるインド系カレー屋さん(もうすでに撤退しているお店です)には
「ここはネパールか???」と思うほどのネパリが
毎週末わんさか集まっては情報交換をしているようでした。

そうそう、
今は無きこのカレー屋さんでちょっと面白いことがありました。
旦那が来日して間もないある土曜日の昼過ぎに、
旦那は用事があってこのカレー屋に行きました。
店の中にはネパリばかり十数人がいたそうです。
久しぶりのネパール語での会話に嬉しくなり、話に花を咲かせていました。

そのカレー屋は小さなビルの中のテナントとして入っていたのですが、
ビルの通路にある非常ベルが突然けたたましく鳴り始めたのだそうです。
「何だ?何だ?」とざわめいたのもつかの間、
いつの間にか店には旦那とカレー屋の店主とその従業員だけが取り残されていました。
当時、まだ何も知らなかった旦那は私に
「彼たちはベルが鳴ったら、ビックリして逃げたんだよ。」と
面白おかしくそのときの状況を話してくれました。

が、私はすぐにピンときました。
確かに、ネパールにはそんな非常ベルなどは一般には知られていないので
突然けたたましくベルが鳴ったらビックリするでしょう。
でも、ただビックリして逃げたのではありません。
おそらく彼らはみんな不法滞在者なのです。
彼らは、非常ベルが鳴る→警察が駆けつけてくる(かも)、の流れで逃げたのでしょう。

普段は一見普通に、そして自由に暮らしていそうに見えますが、
日々、捕まる恐怖と隣り合わせで暮らしているんだな・・・と改めて感じさせられました。

そんな彼らに私たちからアプローチすることはまずありませんでしたが、
どこかでバッタリ会えば話をしたり食事を共にすることはありました。
今日、ネパールに帰ると言うその彼もその中の1人であり、
そして私たちの知るそんなOSネパリの最後の1人でした。
(関連記事はこちら

昨年のリーマンショック以来、
あんなにたくさんいたネパリたちがこの地域から次々と消えてしまい、
何だかちょっと寂しいような、ホッとするような・・・複雑な気持ちです。
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気になる「バイ・ティカ」

昨日はティハールの最終日でメイン・イベントでもある「バイ・ティカ」でしたね。
バイ・ティカには女姉妹から男兄弟へティカをします。
その日のティカはちょっと特別で、いつもの赤いアレではありません。
額の真中に縦にいろんな色のティカを付けるんです。
いつも赤いティカや米粒状のティカもガイジンからしたら異様ですが、
このバイ・ティカのティカもかなり異様です。

私もネパール長期滞在時に1度だけ体験したことがあります。(2003.10.27の日記参照)
この「バイ・ティカ」、普通は女性から女性へはしないものなのですが、
この時、アマ(=お母さん)の粋な計らいで、私もバヒニ(=妹)からティカをしてもらいました。
これで私とバヒニは「姉妹」になり、アマとバー(=お父さん)の娘になったのだ
・・・と、私は勝手に解釈しています。(笑)

じゃあ、男兄弟がいないご家庭はどうするのかって?
カトマンドゥの場合はラーニ・ポカリへ行って参拝するのですが、
それができない場合はそれに代わるお寺へ行ったり、何かをしたりするんでしょうかね?
(その辺は勉強不足でちょっと分かりません。)


そんな大切な「バイ・ティカ」なのに、
ネパールの我が家には主役となる旦那がいない・・・。

実は私、旦那のいない「バイ・ティカ」の日に
ネパールの家族がどのように過ごしているのか知らないのです。
ネパールで何かお祭りや行事があるたびに
旦那にネパールの家族に電話させ、その様子を伺っているのですが、
「バイ・ティカ」に関してだけは聞いたことがないんです。
てか、怖くて聞けません。
だって、唯一の主役である旦那を日本に連れて来てしまってるんですもの。

「息子がいる」ということが、何よりも誇らしいこととされているネパール。
その誇らしい唯一の存在が主役の行事に
肝心の主役がいないお祭りなんて楽しいわけがありません。
きっとネパールの家族はこの日、旦那がいない寂しさを再確認しているに違いないのです。
それは日本にいる旦那も同じ。
そんな彼らに「バイ・ティカ」の話にどう触れたらよいのやら・・・。
こんな事態を巻き起こしている張本人の私からは、
変な負い目を感じてしまってとても聞けません。
いったいどうしているのやら・・・と、非常に気になります。


そんなこんなで、
「光のお祭り」と言われるティハールですが、我が家には暴れ盛りの愛猫が5匹もいるため、
ろうそくやランプの1つも灯せず、またもや普通の日・・・なのでした。

出戻りオンナの悲しい現実

そう言えば、昨年のまさに今頃、
旦那と一緒にネパールに里帰りしてたんだっけ。
もう、あれから1年経ってしまったんですね。(早ッ!)
・・・懐かしいなぁ。

そんなネパールでのことをちょっと・・・


ネパール里帰り中、ネパールの家族とのネパール国内旅行の最後に、
ダディンのとある村にあるアマ(=お母さん)の実家に立ち寄りました。(こちらこちら参照)
アマの実家はアマのお兄さんであるママ(=お母さんの男兄弟)が継いでおり、
その家にはママ、ママの奥さん2人、ママの娘1人、
ママの次男夫婦の息子(ママの孫)が住んでいると書きましたが、
(ママの次男夫婦は、すぐ近くで営んでいる雑貨屋の奥で寝泊まりしているようです。)
実はママにはもう1人扶養家族(?)がいました。

アマのディディ(=お姉さん)です。
彼女は一度は結婚して家を出たものの、離婚をしてまた実家に出戻ってきたのだそう。

そんな彼女の今現在の暮らしぶりは、
ちょっと・・・いや、かなり悲しいものに見えました。

それは最初にあったときの彼女の「身なり」でも何となく分かりました。
髪は真っ白でボサボサ(てか、ボーボー)、服は色褪せててボロボロ、
足元は裸足でかかとはバリバリにひび割れていました。
田舎の農家の女性なのでこんなものなのかと思っていたのですが、
その後で会ったママの2人の奥さんも農作業スタイルではありましたが、
それなりにちゃんと身奇麗な感じでした。

その日の夜、
私たちが早朝、マナカマナで参拝してもらったティカやお花、紐、ココナッツをおすそ分けしたり、
持参したお土産を渡すときにも彼女は普通にいませんでいたし、
ママが私たちを歓迎して振舞ってくれたご馳走のときにもいませんでした。
翌日、ダディンを出発する前に家族全員で記念写真を撮ったときにも
彼女を呼ぶ気配さえもありませんでした。
まるで、この家の一員ではないかのよう。
それどころか、この家には一緒に住んでいないようでした。

そんな彼女はどこに寝泊まりしているのかと言うと、
なんとママの息子夫婦の営む雑貨屋の脇にある、トタンで囲っただけの小屋。
たぶん、畳1畳分くらいの広さだったと思います。
一応、高床式になってます。
そこで品数の少ないガムやキャンディ、噛みタバコを細々と売りつつ暮らしているようでした。
もちろん収入なんて「ない」に等しいと思います。

彼女のために用意したお土産の赤いコットンのサリーを
アマと2人で実家を抜け出して彼女の住むその小屋へこっそり渡しに行きました。
それも、まるで渡してはならない人に渡すかのような「こっそり」なのです。
そのサリーはカトマンドゥでアマが選んでくれたのですが、
ママの2人の奥さんへと買った同じ赤いコットンのサリーよりもランクの劣るものでした。


ちょっと話は飛びますが、
以前、旦那がネパールへ電話したときにアマがこんなことを言っていたそうです。

 この前、ダディンに帰ったときにディディが
 「最近は(ママの)家からご飯も十分にもらっていない。それどころか、くれないときもある。
 とても虐げられた生活をしている。このままではとても辛すぎる。
 だから、ここから出たい。できたら、あなた(アマ)の家に置いてほしい。」
 と、泣いて訴えてきたのだそうな。
 それに対してアマは旦那に
 「そんなことになって欲しくはないけれど、
 彼女は私のディディだから、そうなったら断ることができない。」と言ったそうです。

私はそれを聞いて、「絶対ムリ!」と一言だけ言っておきました。
だっていづれ面倒を見るのは私なんだもん。
アマとバー(=お父さん)に関しては頑張るけど、あとは知らんよ。
アマのディディだからって、いいようにコキ使われるのも嫌だし。
冷たいようだけど、私はそんな嫁なのです。


彼女を見て、私はすぐにこの話を思い出しました。
そして、まさに彼女のことでした。

たぶん、アマや周りの人もみんなが彼女が悲しい状況にあることを知りつつ、
誰もがどうすることもできず、この状況をただ受け入れるしかないといった感じに見えました。
ネパールの離婚した女性のすべてがこんな悲しい状況だとは言いませんが、
少なくとも現実にこーゆう女性が1人ココにいたことにショックを受けました。

いづれ私もネパールに住むことになるのワケで、
年が経つにつれ簡単に「離婚したから日本に帰る!」ってわけにもいかなくなるワケで・・・。
旦那にはそのこと(ネパールに私を連れて行くこと)を重大に捉えていただき、
「ネパールでは簡単に私を捨てないように!」と厳しくお願いをしておきました。(懇願)

ネパール最大のお祭り「ダサイン」がキターッ!

世間では今日から「シルバー・ウィーク」とやら、だそうで・・・。
5連休かぁ~。
いいなー、いいなー。

ちなみに我が家にはシルバー・ウィークなんてのはありません。
私はこの間ずっと仕事。
旦那は基本的に祝日は仕事で、
かろうじて久しぶりに土曜日がお休みになり、今日と明日の2連休のみ。

ビンボー人は働けッ!ってことでしょうか。
えぇ、えぇ、働きますとも。(泣)


ところで、
ネパールでも、今日からネパール最大のお祭り「ダサイン」が始まりましたね~。
世界中のネパリたちがウズウズ・ソワソワ・ワクワク♪しているのではないでしょうか。
「ダサイン」って言うと何となく10月のイメージなんですけど、
今年はまた随分と早いんですね。
まさか日本のシルバー・ウィークに合わせたとか・・・って、んなワケないか。(笑)

旦那の話によると、
昔、ダサインは西暦で言う6月くらいにあったそうなのですが、
ちょうど真夏な暑い時期と雨季も重なって食中毒などの病気が多く発生したこともあり
乾季である秋の今頃に変わったのだとか。(←これ、ホント?)

始まったと言ってもダサインのメイン・イベントは10日目のティカの日で、
(家族がみな集まり、目上の人から順番にティカ(額に付ける赤いアレ)をもらいます。)
初日の今日から数日間は結構普通の日だったりします。

ネパールの我が家では、今頃アマ(=お母さん)とバヒニ(=妹)がお買いもの三昧かな?
アサンやインドラチョーク辺りでサリー買ったり、クルタ買ったり、
ビーズのアクセサリー買ったり、チュラ(腕輪)買ったり、靴にバッグ・・・。
いいなー、いいなー。

・・・とは言え、
「ダサイン」は新しい服を着て、みんなで集まってご馳走を食べて、お酒を飲み、
男性たちは賭け事に興じ、女性たちはおしゃべり三昧、
子供たちは屋上で凧揚げなどなどで過ごすお祭り。
ぶっちゃけ、ガイジンには非常につまんないです。

そんなこんなで、
日本の我が家はやっぱり普通の日。

ネパール人の海外流出事情

ネパールに住んでいる旦那のネパ友が、近々イギリスに行くことになったらしいです。
半年前に結婚したネパリの奥様と一緒に移住するのだそう。

理由は、ビザが取れたから。(何のビザかは知らんけど。)
たぶん特別な目的や思いがあってイギリスに行きたかったワケではなく、
他のネパリ同様、いろんな国(もちろん先進国と呼ばれる国)のビザを申請して
運良く取れたところに行く・・・という感じだと思う。
それがたまたまイギリスだった、と。

中にはその取れたビザを元に、さらに他の国のビザを申請するというのを繰り返し、
最終的に自分の生きたい国へ行った人もいたり・・・。
(ある程度大きな国のビザを持っていると、他の国のビザも比較的取りやすくなるみたいです。)
目的とする国のビザが比較的簡単に取りやすい日本人からしたら、
なんて回りくどいと思うかもしれませんが、
これがネパールでは普通だったりするのです。

ちなみに旦那のあるネパ友夫婦は、イギリス→カナダ→オーストラリアの順で、
現在、最終目的地であるオーストラリアに在住しています。
たぶん、このままオーストラリアに永住かな?
この間、カナダで子供が生まれているので、子供にはカナダ国籍も取得させることができ、
(カナダは出生地主義を採用しているので)もう万々歳!なのだとか。
もはや、ネパールやネパール国籍なんてどーでもいいみたい。(笑)

だいぶ話がそれてしまいまししたが、
その彼はカトマンドゥのキングス・ウェイとニューロードでギフトショップを経営しています。
その関係で、中国をはじめ、いろんな国に自ら仕入れに行ったりしていました。
経営状態も悪くなく、最近郊外に家を買ったと聞いています。
もちろん、リングロード内には現在住んでいる家族所有の大きな家もあります。

もし、ウチの旦那が彼のような恵まれた状況にあったら
旦那をネパールの家族から無理やり引き離してまで日本に連れて来ることはなかったでしょう。
ビンボー庶民のネパリと結婚した私からしたら、
十分ネパールで良い生活ができているというのに、これ以上何が必要なんだ?
って思ってしまうのですが、上を見たらキリがないのでしょうね。

そんなこんなで、
これでネパールに住む旦那のめぼしい男性のネパ友はいなくなってしまいます。
そう、みんな海外に出て行ってしまったのです。
昔はただの出稼ぎが目的だったかもしれませんが、今は移住じゃないかと。
残念だけど、たぶん、みんなもう帰って来ないものだと思われます。

旦那は1日でも早くネパールに帰ることを目的に日々頑張っているのに、
せっかく帰ったものの、帰った先には誰もいない・・・なんて、ちょっと可哀そう。
ウチの旦那はネパール人のくせに(?)
電話したり、メールしたりと、なぜか自分からはまったく連絡をしないぶん、
唯一ネットでFacebookに登録している世界各地に住むネパ友たちの近況を見るのが楽しみみたい。

「ネパール」って、ネパール人にとって、そんなに魅力がない国なのかな?
ネパリの嫁のくせに「ネパールが好きではない。」と公言している私が言うのもなんだけど、
何だか寂しいですよね。
プロフィール

ま~る

Author:ま~る
この度、ブログ「ネパリの嫁のヒトリゴト」をこちらに(ビミョー?)に引っ越しました。

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